欲しいものは売ってないものばっかり
- 作者: 平川克美
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (27件) を見る
みんな知ってることなのかもしれないけど、私はここを読んで初めて、自分が何のために働いているのかに気付いた:
ニーズが満たされているのになお必要なものはあります。
それは、お金では買うことができないものであり、他人とは交換できないものです。
一方、お金では買うことのできないものを販売する。つまり、通常は流通しないもの
に市場性を持たせる。これが消費資本主義社会における最後のマーケティング課題と
なったわけです。
そういうことだったのか。
俺が社会人になってからずっと欲しがってきたものは何一つ金では買えないのだ。
なのに、金で買えないものを間接的にでも金で買おうとする、ということを10何年も続けてきたのだ。
30代のおっさんがほしいもの
自分について、ほんとに欲しいもの=「ほしいなー」と思うだけではなくて、それを得るために実際に金と時間を使ってるものは何なのかよーく考えると
- 仕事
- 共同体
- 地位
の3つであり、残念ながらどれも金で買えないのだ。
もうちょっと詳しく書けば
- スリリングで適度にストレッチがあり、世間に対してインパクトのある仕事
- 同僚・取引先・顧客はみんな尊敬すべき人ばっかりで、嫌な奴とかめんどくさい奴がいない、そんな組織に所属すること
- その共同体(=同僚・取引先・顧客)の中で、自分は信頼できるメンバーであると認知されていること。ぶっちゃけ誰からも軽んじられないこと
みたいな感じ。文字にすると妄想丸出しで恥ずかしいが、実際上の3つが欲しくて長時間労働したりマシンを買ったりセミナー行ったりしてるわけだ。本来金で買えないものに、道具・経験・知識を買い込むことで接近しようとしているのだ。
普段の消費なんてのは、俺が本当に欲しいものを買ってるのではなくて、上の3つから遠ざけられているために疲弊した自分を復活させているだけのことだ。
30代の社会人はだいたい俺と同じなんじゃないかと想像する。癒しなんて本当は誰も欲しがってない。癒しが不要になるような仕事と共同体と地位を欲しがっているのだ。
何なんだ
自分が一番欲しいものはよーく考えると仕事だった、そしてそれは直接金で買うことができない、というのは遅すぎた大発見だ。
親父は60年代が「ばら色だった」と言う。
毎年給料が上がって、欲しかったカラーテレビや車が自分のものになっていく。
楽しくて仕方がなかったそうだ。
それに比べたら俺は何だ。売ってないものばっかり欲しがっている。それを入手するには金と時間と頭と体力を使わなくてはならないことはわかっているが、使ってみたところでどこまで接近できたのかよく分からない。何だろう。アプローチが根本的に間違ってるんじゃないのか。