「感情に逆らい、合理に殉じる人」が本当に頭のいい人なのだよなあ
「ヤバい経済学」は面白くない
これはつまらなかった。
- 作者: スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー,望月衛
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2006/04/28
- メディア: 単行本
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たとえばレヴィットは、子供をとりまく環境と子供の成績のデータを解析して、親がどういう人間か(例えば「教育水準が高い」「社会・経済的地位が高い」)は子の成績に影響するが、親が子に何をしてあげたか(例えば「美術館に連れて行く」とか「子供を殴らない」とか)は関係がないということを示し、「あなたが高学歴でお金持ちで、パートナーもそうなら、あなたのお子さんも成功する確率が高いでしょう。そうではないなら、もう手遅れです。あなたが親として何をするかはあんまり関係ありません」みたいなことを言うんだけど、それわざわざ言うことじゃないから。
親が子供にしてあげることは、利回りを計算してやる・やらないを決めるものじゃないだろう。
親はせめてこれぐらいのことをしないでは居られないという感情的・生理的な欲求に従って動いているのだろう。
それを「あなたは勘違いしている。そんなことをしてもお子さんの成績は伸びませんよ」て得意げにされても、どうでもいいって。
「俺は合理的な人間だ」と信じている人だって、ある場面では不合理な感情を優先して土人のような行動をする。
それは愚かなことでも何でもなくて、逆にまともな人間の条件だと言っていい。
「あの世なんてない。霊魂なんてない」という人だって、自分のばあちゃんの墓石を蹴り倒すことはできないだろう。
あの世も霊魂もないなら、墓石なんてただの石なのに。
「狂牛病のリスクが過大評価されている。牛肉は安全だから食わない奴はおかしい」という人だって、トイレに行ったら手を洗って出てくるだろう。
手を洗わなくても病気になる確率は変わらないのに。
レビットがやっているのは、そういう人たちに「あの世がある証拠はありませんよ。そこにおばあちゃんは居ませんよ」とか、「データによればトイレ行って手洗わなくても病気になんかなりませんよ」と言うようなことだ。
それ聞いて「そうだったのか... 目から鱗だ...」なんて感心する人は居ない。「どうでもいいから、小便したら手ぐらい洗おうぜ」というのがまともな人の反応じゃないの。
じゃあ、どういう本なら面白いのか
レヴィットは通念をひっくり返して見せるが、通念に反する行動を自分がしてみせるわけではない。
自分を安全圏に置いて正しい行動を説いているわけで、そういう学校の先生のような*1態度がこの本をつまらなくしている。
同じ人が訳している「まぐれ」て本があって、やっぱり統計学の視点から(投機に関する)通念を斬る本なんだけど、
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2008/02/01
- メディア: 単行本
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著者のタレブとレヴィットの違いは、自分を勘定に入れてものを言う点にある。
タレブはヘッジファンドのオーナーで、彼のファンドは「毎日少しずつ損が出るが、めったにないことが起きたときに大きく儲ける」ポジションを取ることを戦略にしている。
確率論的にそれが一番長く儲けられるという判断からなのだが、訳者によると、そのような毎日損し続けるポジションを維持することは精神的に「本当に苦しい」のだそうだ。
タレブは感情に逆らい、合理に殉じる生き方に、自分の金を賭けているわけだ。そういう人の語る言葉は重く、「うわぁ...頭のいい人だなあ」と心底感心させられる。
タレブの生き方は、例えばこんな話から見えてくる:
P-131
株式市場はどうなると思うかと聞かれた。私は、来週市場は小幅に上昇する確率が高いと言った。
どれぐらいの確率で?「70%ぐらいだな」これは明らかにとても強い意見だ。そこで誰かが割って
入った。「でも、ナシーム、君はさっき、SP500を大量に空売りしたって言ってたよね。市場が下
がる方に賭けてるってことだろ。意見が変わったのはどうしてだ?」「ぼくは意見を変えてなんか
いないよ!自分の賭けにとても自信があるんだ!実のところ、もっと売りたいと思ってるんだよ!」
...
(私は)市場は上昇する可能性が高いけれど、空売りするほうがいいと思っていた。下がった場合、
大幅な下落になる可能性があるからだった。
*1:著者は実際に学校の先生なんだけど