プログラマの定年が35歳ではないなら一体何歳なのか


「社外でも通用するスキル」のくだらなさについてに丁寧なコメントをいただいので、投げっぱなしにしないでもう一つ先まで考えてみる。


前回書いたことは「ポータブルスキルを『社外でも通用する技術』と考える限り、自社専用スキルとポータブルスキルのどっちを選んでも詰む」という話だった。
「自社専用スキルに特化すると会社を放り出されたときに困る。ポータブルスキルがあればクビになっても困らないはず」と思って売れ筋の技術を磨いても、技術はある年齢になると売れなくなるので、40歳になってみるとやっぱり「会社を放り出されると困る人」になっている自分を発見する。
「ポータブルスキルとは社外でも通用する技術である」という考え方が間違っているので、こういうことになる。


前回書いたことはこれだけ。
では、自社専用スキルに頼れない俺は、これからどうすればいいのか。

ミクロの対応

個人レベルでの対応ははっきりしていて、コメントで指摘いただいている「希少性」を加えて自分のポータブルスキルを組み立てるしかない。
つまり

  1. みんながそれなりにできることを、突出して高いレベルでする
  2. みんながやらない(やりたがらない)ことをする

のどちらかだ。1.ができればベスト、ダメなら2.の路線で行けばよい。
言うのは簡単だが、問題は自分にできるのかどうか、しかも一時だけではなく、リタイヤするまで継続できるのかどうかだ。

マクロの現実

昔からプログラマとかSEには「35歳定年説」というのがあって、これを否定するような言説(「もうそういう時代じゃない」「定年は人によって違う」「自分は努力しているので関係ない」等々)を数年に1回は見るんだけど、見るたびに危なっかしいなあと思うのは、だったら何歳が自分の定年なのか考えてないように見えることだ。
35が定年でないなら45なのか55なのか。「俺は35ぐらいで下り坂には入らない。まだまだ第一線で戦える」と考えている人の限界が仮に55歳だとして、55でリタイアした後どうするのか。
中高年になって転身するぐらいなら、長く働ける仕事を早めに見つけた方がいいんじゃないのか。整体師とか。
だったら一周して35歳定年説は正しかったということになるのではないか。


「高く売れる突出した能力があれば、何歳だろうとエンジニアとしてやっていける」というのは正しい。しかし結果としてそれを実現できる人はほんの少数だ。「突出せよ」というのは「上位数%に入れ」というのと同じだから、当然そうなる。こういう特別な人たちのことは、まあいいとして、
問題はその他大多数だ。この業界で、与えられた仕事を真面目にこなし、一方で日々の勉強も欠かさない職人たち、要するに普通の真面目な人は、最後にどうなるのか。


戦うにしろ降りるにしろ、まずは現実を見ることだろう。現実を見ないで生き残り戦略もないだろう。
個人的には、40過ぎてなお若い人と生存競争をしたくないと思う。いいかげん利他の精神で生きたいよな。皆さんもそうでしょう。