苦しまないと良い仕事はできない


1月は元旦から休みなしで働いてたんだけど、29日あたりだったか、「絶対間に合わねえ」「何でここまでやらなきゃならないんだ」「誰か代わりにやってくれねえかな」「ていうか、やれよ」といったや恐怖感や被害者意識の果てに、久々にあれが来たのだ。
思考と感情と行動が完全に一致し、作業自体に全身で切り込んでいく感覚。あるいは自分が作業自体になり切る感覚。
人生でほんの数回しか入ったことのない状態。痺れるような、全身全霊で行動しているという実感。


科学者とか芸術家が、さんざん苦しんで試行錯誤した末に最重要なアイデアを手にする、という話がありますでしょう。
全て出し尽くして、もうダメーと思ったところからさらにアイデアを絞る。七転八倒しても何も出ない。倒れるように眠る。すると何かが降りてきて最高のアイデアを手渡してくれる。
輪になった蛇の夢を見て問題が解けたとか、そういう話がありますでしょう。
勘違いされがちだが、あれはクリエイティブな仕事に限定された話ではない。業務システムの開発のような創造性の要らない仕事にも通じるものはあるのだ。
苦しんだ末に、苦しんでいる自分と、考えている自分と、作業する自分が一体になる瞬間があるのだ。この状態のとき我々は最高の能力を発揮する。
そして、そのときだけ俺は自由なのだ。普段の我々は恐怖感や被害者意識の奴隷のようなものだ。


仕事でも何でも、ギリギリの状態に陥ることには重要な意味がある。
それは江原的な「超えられない試練はないのです」「あらゆる経験に意味があるのです」という話ではない。
ギリギリの状態をくぐらないと、あれは来ないのだ。自由になれないのだ。


あれとは何か。
それは、岡本吏郎が「あいつ」と呼び、ティモシー・ガルウェイがセルフ2と呼び、道元が只管打坐と言い、クリシュナムルティが不死と呼んだものにつながっている。
そう、つながっているのだっ...て思わないとやってられねえって。