「マイマイ新子と千年の魔法」のあの先生は何だったのか


各所で「ものすごく感動したのだが、自分が何に感動しているのかさっぱりわからない」という感想があがっている「マイマイ新子と千年の魔法」を見てきた。
アニメ・主人公が子供・原作高樹のぶ子(=日経新聞に中高年向けエロ小説を連載している人)という、俺なんかそもそも客じゃない映画なのだが、id:Dersu 氏という深く信頼するレビュアーが「日本映画史がひっくり返る大事件」とまで仰るのだから気になってしょうがない。仕事をブン投げて川口MOVIXまで行ってきた。


でもねえ残念ながら私には奇跡は起きなかったのですよ。
嫁と「何だかよくわからなかったね」と言いながら帰ってきて、近所のスーパーで米とみかんを買って、すぐ仕事に戻ってしまった。
俺はこの映画から特別な何かをすくい取ることができた人たちを羨ましく思う。
見たところ皆さん俺とそう変わらない歳だと思うんだけど、幼少時の体験の差なのか、単なる感受性の差ということなのか。
何かは知らないが、とにかく本人すら自覚していない、ある属性を持つ人だけに届く映画なのだと思う。


ところで、俺と嫁の感想戦は「あの先生は何だったのか」というところに集中した。
物語全体を支配しているのは「千年の魔法」などではなくて(「千年の魔法」はある事件の発生とともに主人公に「もうお終いじゃー」とブン投げられてしまう)、要所要所に意味ありげに出てくる、ひづるという名の美人の先生だ。
この人が不穏な存在感を発揮して登場する小学生たちの感情を揺さぶり、しかし物語の本筋にからむことなく去っていく。
あの先生は何であんなに丁寧に描かれていたのでしょうか。