三沢さん

朝重苦しい気分で目覚めて「何かとても嫌なことがあった... 何だっけ...」と思ってから「ああ、三沢が...」と思い出してさらに暗い気分になる、ということが続いている。
悲しいとは感じられない。ただただ暗く、重苦しい。


三沢光晴は私が最も尊敬するレスラーだが、2004年ぐらいから試合を見るのがつらくなってきて、東京ドームでの対川田戦をテレビで見て以降、試合を見た記憶はない。
衰えていく三沢を見るのが嫌なのだと思っていたが、考えてみれば、私は衰えと戦う強者を見るのは嫌いではない。
全盛期の朝青龍よりも今の朝青龍の方が好きだし、あれほど嫌っていた猪木に対しても、引退のちょっと前に馳とやった試合では全力で応援していた。
自分はなぜ最近の三沢を見るのを嫌がっていたのか。
それは、三沢があまりにも痛そうなプロレスをしていたからではないか。
その痛みは、受けよりも攻めのときに、攻めよりもリング上の何気ない動作の中に、より明確に見えていたのではないか。
たとえば入場直後にロープに2回背を預ける、というムーブに、あるいは試合の序盤に両腕を広げて肩を回す動きの中に、背中と首のすさまじいまでのこわばりが見えていたように思う。
だから、こんなことになっても「まさか、あの三沢が...」という気持ちになれないのではないか。


放心することも、悲しむことも、いままでありがとうございましたと感謝する気持ちになることもできず、何とも名状しがたい嫌な気分から解放されたくてネット上の三沢さん情報をあさるも、関係者やファンは一様に口が重く、生前のちょっといい話をきいてイージーに癒されることもできない*1
あの三沢光晴が亡くなったのだから、3日やそこらで解放されようというのが間違っている、ということなのだろう。
沈黙している小橋が口を開いたら、小橋から安心できる言葉を聞けたら、この気分から逃れることができるかもしれない。
が、安心できる言葉とは何だろう。俺は何を聞きたいんだ。
あまり前向きなことを語ってほしいわけではない。もう小橋にも秋山にも高山にも無理をしてほしくない。

*1:ただ、この話には少し癒された: 『パンツの中身はもっといいよ』http://www.samurai-tv.com/column.html?ymd=20090615