「自己責任」という言葉の意味が「熟女」の意味のようにずり下がっている


俺が中学生ぐらいのときに「熟女」という言葉が出てきて、それは今なら石田ゆり子とか壇れいとか、あのへんの「あんまり若くないところがいいよね」というゾーンを指す言葉だったんだけど、なぜかだんだん対象年齢が上がってきて、サッチー&浅香光代の喧嘩が「熟女バトル」と報道されたところでこの言葉の命脈は尽きた。
今「○○さんて熟女ですよね」と言われて喜ぶ女の人はいないだろう。


自己責任という言葉の使われ方も、昔はぜんぜん違ったと記憶している。
俺が最初にこの言葉を意識したのは相場師の林輝太郎の本の中で、そこには「相場で損をしたら『市場の地合が悪い』『証券会社が悪い』とひとのせいにするのは素人で、相場で生活するつもりなら儲けるのも損するのもすべて自己責任と考えるのが当然」という意味のことが書いてあって、あー立派な考え方だなあと思ったものだ。
林氏は「一般人にない自己責任という倫理を、我々相場師は持っている」ということを誇っているのだ。
ここでは自己責任は自分を指していう言葉なのだ。


いろいろな事件があって、自己責任という言葉の使われ方は変質してしまった。
今「自己責任だ」と言う人は、要するに「お前のせいだ」「自業自得だ」と、他人を指差すのにこの言葉を使っている。
で、そういう人が「自己責任論者」だということになりつつある。そりゃ語義矛盾だろうと俺は思っている。
だってそうだろう。
自分が当事者でもない事件について「あいつのせいだ」「自業自得だ」と他人を指差すのが大好きな人が、なんで自己責任論者なんだ。
自己責任論者というのは、

  • 自分が引き受けられる範囲については「俺のせいです」と言い、
  • 他人が引き受けるべき範囲については黙っている

そういう人だろう。他人のせいだと発言するのが好きな人は他者責任論者だろう。


最近、橋下徹大阪府知事が陳情に来た高校生に向かって自己責任という言葉を使って、このことばの命脈にとどめを刺した。
俺には橋本氏が、熟女バトル終盤に乱入してきた十勝花子の姿とだぶって見える。
「○○さんて自己責任論者ですよね」と言われて「誉められた!」と思う人は、もういないだろう。