フォトリーディングは「写真を撮るようにページの映像を記憶する」ものではない

フォトリーディングのことを「写真を撮るようにページを記憶する」ものだと説明している本があるんだけどこれはミスリーディングというか誤解なんじゃないのと思う。
例えば200ページの本を見開き100枚の画像として記憶したとして、そこに書いてあることの意味を知るにはどうするの。
ページの映像を想起して、頭の中でそれを読むしかないんじゃないの。
それって普通に本を手に持って読むのとおんなじ時間がかかるんじゃないの。
そう考えると「写真を撮るようにページを記憶する」技術なんて何の役にも立たないとわかる。


我々が本を読んだ結果覚えている(覚えていたい)ことは、文章そのものではなくて、文章から引き出された意味だ。
フォトリーディングがやろうとしていることは、本から意味を引き出す作業を短縮することで、2秒に1回ずつページをめくった結果頭に残るのは、文章そのものではなくてその意味だ、ということになっていると思う。


文章と意味は1対1に対応するものではない。
西林克彦「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)」によれば、

  • 文脈に文章を投げ込むことで意味が引き出される
  • だから、文脈を取り替えれば、同じ文章から違う意味が引き出される

のだそうだ。フォトリーディングの手順の中で、繰り返し「読む目的」を確認したり「質問」を設定したりするのは、ふだんは文章を読む中で受動的に設定している文脈を、能動的に設定するためなのだろう。文脈を固めないでフォトリーディングしても、意味は引き出せないということなのだろう。