フォトリーディングセミナーから半年でどうなったか
フォトリーディングの練習はずっと続けていて、そこそこの成果があった。
去年読めた本は146冊。うち6月末にフォトリーディングを習った後に読んだのは98冊。
数では2倍速にしかなってないが、読んだものの内容がずいぶんよくなった。それまでは眠くなって読めなかったものを大量に処理できた。
フォトリーディングの手続き自体は全く苦にならない。
ていうかフォトリーディングしないで1ページ目からぶっつけで読むのが苦痛になった。フォトリーディングは意識的な努力をしなくても習慣になった。
12月に、同じテーマの本をまとめて読めば劇的にスピードが上がることがわかった(=シントピックリーディングというやつ)ので、来年は300冊ぐらい処理できる見込み。
成果はあったのだけど
フォトリーディングが「できている」「上達している」という実感は、相変わらずない。
これは、はっきりしたフィードバックがないというフォトリーディングの特性(問題?)のため。
教える側は「理屈はどうでもいいから、実践しないとダメ」ということを自転車や水泳に例えて説明するのだが、そういうのと違って間違ったことをしても転んだり溺れたりしないから、自分がやっていることが果たして正しいのか、よく分からないのだ。
フォトリーディングの開発者はナチュラル・ブリリアンス・モデルという「人間にとってもっとも自然な学習モデル」を提唱していて、そこには行動に対する迅速なフィードバックが含まれている。フォトリーディングにはそれが欠けているんじゃないの。この技術にはもう一段の進化があり得るんじゃないの。
同期の受講者が読書報告するメーリングリストがあるんだけど、今でも定期的に投稿してくる人はほんの数人になってしまった。
投稿しない人のほとんどはフォトリーディングを止めてしまったのだと思う。みんなできているかどうかの実感がないので継続する気をなくしたのだと思う。この問題をクリアした速読法があったら、すごい商売になるんじゃないのか。
でもそんなの関係ない
なんて書いたけど、個人的には上達の実感があるかどうかは別にどうでもいい、と納得している。
顕在意識の満足を求めることはフォトリーディング的ではない。
フォトリーディング講師の副業をしている岡本吏郎氏のニュースレターにこうある:
フォトリーディングは、セミナー後もほとんどの方々に使ってもらっていますが、時々、挫折する人
がいます。
そういう人たちの共通点は、意識君の満足を一度捨ててみれば、そこに凄い世界が待っているという
ことが観念でしかわかっていないということです。
そして、実際、フォトリーディングをするときには、その観念を忘れたまま意識君の満足を求めるも
のですから、以前よりも早くはなるものの、私のように月50冊とか30冊という世界にいけないわ
けです。
(フォトリーディングの手続きで1冊処理するのに3時間もかかってしまう...という受講者の悩みに答えて)フォトリは時間を決めて読む方法です。Oさんは3時間という時間を自分で選択しているんです。
3時間の選択は顕在意識の満足を呼びます。でも、私には、顕在意識の満足など意味がないことを
知っていますから、10分で終わらせると思います。
今までの「理解したい」をする限りは3時間はかかるでしょう。その間に、私はたくさんの本を
読ませていただきますね。
「読めた!」と自分で感じられるかどうかは、まったくどうでもいいと思ってやるのが正解らしい。