日本人は年々馬鹿になっているのかもしれない

「最近の若い奴は云々」はおっさんの繰り言であると同時に、真実でもあるのかもしれない。
以下は日本初のフィールズ賞受賞者・小平邦彦ボクは算数しか出来なかった (岩波現代文庫)」からの引用。

(終戦後に疎開先から東京文理大に戻ってきて)
いつの日か日本の経済が回復して反映するとは到底考えられなかった。日本は永遠に四流国
に成り下がったと思ってすこぶる情けなかった。
それにもかかわらず、学生はよく勉強した。そしてよくできた。試験のときあらゆる智恵を
しぼって難しい問題を出しても、満点を取る学生が必ず何人かいた。年度末試験に、あらゆ
る智恵をしぼって易しい問題を出さなければならない現在の大学生とは大違いであった。

ここでの「現在」は1987年。

昭和五十年に学習院大学で教えるようになってから、年々数学科の学生の学力が低下してい
くことに気付いた。
...
経済学の大内力さんが五十四年11月5日の朝日新聞に書かれた「学問に未来はあるか--恐る
べき学力の低下」と題するエッセイを読んで、学力低下は数学に限らず学問全般に及んで
いることを知った。

「学生の学力が年々低下していく」というのは30年前から進行していた問題だったらしい。
もっと昔から、大学の先生はみんなそう思ってたのかもしれない。


もう一つ、天才数学者・岡潔の証言。
岡潔―日本のこころ (人間の記録 (54))」から、昭和二十〜三十年代に奈良女子大で数学を教えたときの話。

私は学生をABCの三級に大別していた。Cは数学を記号だと思っているもの、Bは数学を言葉
だと思っているものである。Aは数学は姿の見えないxであって、だから口では言えないが、
このxが言葉をあやつっているのであると、無自覚裡にでもよいから知っているものである。
...
ところがそのいずれにも属しないもの、いわばDクラスが出てき始めたのである。CBAは進化
の順であり、同時に数学史の向上の順なのであるが、このDはそのような系列にはなく、私
にはちょっと正体がわからなかったのである。
...
Dの数は段々ふえる。だからABCの数は段々へる。それとともにABCの一つ一つは影が薄くな
り、Dは段々強さをます。種類もふえる。とうとうDばかりになってしまった。
サア、どう教えてよいか全くわからないのである。

両氏とも、異変の原因は戦後の義務教育にあると考えた。新教育(戦後の教育)は教えるべきことを正しいタイミングで教えていないことに問題があると見た。
平氏の見立てはこう:

適齢に達していない子供にその教科を教えようとすると、教える内容はつまらないものにな
り、結局、時間と労力の浪費となる。低学年の小学生はまだ社会や理科の適齢に達していな
い。
基礎教科の国語と算数を十分時間をかけて徹底的に教え、他の教科は生徒が適齢に達してか
らゆっくり教えるべきである。
...
私が子供のころ--今からおよそ60年前の小学校では ... 修身、唱歌、体操を除くと二年まで
は国語と算数以外は何もなく、図画は三年から、理科は四年から、社会に相当する歴史と地理
は五年からであった。

確かに、一年生の時の社会というのは、何を教わったのか全く記憶がないが、何だかどうでもいいようなことを教えられていたような気がする。
それに比べると一年生の算数というのは、今でも毎日それを使いながら生きているような、重要な内容を含んでいた。
しかもそれは、生きていれば自然と覚えるようなことではなかった。誰かに教わらなければ身につけることのできない智恵だった。