「汝の敵を愛せ」の意味

佐藤優 獄中記 によると、キリスト教が「汝の敵を愛せ」というのは、それが倫理的に立派なことだからではなく、それが事態を好転させるために必要だから、らしい。

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「敵を愛する」ということは、白旗を揚げ敵に屈服する、あるいは敵におもねるということではない。
憎しみの論理は人の目を曇らせる。敵を憎んでいると、闘いの構造が見えなくなり、従って対応を誤る
のである。こちら側が弱いときほど、正しい対応をするために、要するに自分のために敵を愛すること
は必要なのである。
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例えば現代プロテスタンティズムの標準的神学者ユルゲン・モルトマンの見解は次の通りである。
「敵を愛するとき、人はもはや「私は、どのようにして敵から身を守り、敵の攻撃を脅してやめさせる
ことができるか」とは問わない。むしろ、「私は、どのようにしたら敵から敵性を取り去ることができ
るか」と問う。敵を愛することによって、私たちは、敵を私たち自身の責任の中に引き込み、そこにま
で私たちの責任範囲を広げるのである。それゆえ、敵を愛することは、「心情倫理」とは全く別なもの
である。それこそ、真の意味の「責任倫理」にほかならない」

嫌いな人を憎むことで私の権限が及ぶ範囲は縮小し、私の人生は他人に侵食される。
自分の領域を取り返すために、嫌ーなやつも自分の中に取り込みなさいという教えなのだな。