「箱」理論について

問題作 箱―Getting Out Of The Box を図書館で借りて読む。
自己啓発セミナーの会社が書いた、セミナー宣伝小説。
これはいい。

  • どうして自分の周りには嫌な奴がいっぱいいるのか
  • 嫌な奴がいやなことをすると、不愉快なのと同時に微妙に嬉しいのはなぜか
  • どうすれば嫌な奴がいなくなるのか

が理解できます。
以下、箱とは何か、についてネタばれします。


他人が嫌いになる根本原因は自己正当化です。
「おれは今こうすべきだ」と思ったことをやらなかった時、自分を正当化する必要に迫られます。
待ち合わせの時間に10分遅れた時、自分は「間に合うべきだった」ということを知っています。
しかし、遅れてしまった自分を正当化するために

  • 自分にはものすごく重要な用事があったから、今日は間に合いようがなかった。不可抗力だ
  • ヒマ人のくせに、10分待たされたぐらいでこいつは何を不機嫌になっているのだ

という2方向の思いが浮かびます。
自分を全力で努力したが力の及ばなかった者とみなし、他人を身勝手な主張をする嫌な奴とみなす。
自分を観察すると、この手の情動がひっきりなしに動いていることに気づきます。


自己正当化によってゆがんだ世界を見ている状態を「箱に入っている」といいます。
我々はささいなことで箱に入ってしまいます。同書にはこんな例が挙げられています。

  • 嫁さんに借りた車を、ガソリンを入れずに返した
  • 子供とどこかに行くという約束を、適当な理由をつけて反故にした
  • すごく急いでいるときに、障害者専用スペースに駐車した
  • 身内が入院している時に、追加の仕事を頼まれた

なんというか、客観的にみてそんなに悪いことじゃなくても、箱に入ってしまうのですね。


箱の恐ろしいところは、不仲なもの同士が互いに箱に入れ合おうとする「共謀」関係を作ってしまうことです。
A,B二者が相手に対して箱に入っているとします。
Aは、Bがまた嫌なことをしないように、脅したりなだめたりして操作しようとします。
相手も箱に入っている場合、それは「被害者の俺に向かってそういうことを言うか」「お前の言うとおりにはしないぞ」という反応を引き起こします。
親に「勉強しなさい」と言われると、もっと勉強したくなくなるというアレです。
「俺が勉強してる間、お前はテレビ見てるだけじゃねえか」と。
まあ、どっちみち勉強しないんですけど。
それを見たAは、頭に来ると同時に「やっぱりBはそういう奴だった」「私は正しかった」ということを確認します。Aの箱は強化されます。
これを互いに繰り返すと、腐った人間関係とゆがんだ自己認識が人生に沈着します。


箱から出る方法は簡単で、自己正当化をやめればよいということになります。
自分が深いところでやるべきだと感じたことを全部やると、箱のない生活になります。
同書の主人公は、そりゃーちょっと大変なんじゃないか?と抵抗しますが、セミナーの講師に「箱に入っている方が大変ですよ」と言われます。
嫌いな人間に囲まれて、常に自分の正しさを証明しながら生きる方が大変でしょう、現に今、毎日がつまんないじゃないですか、ということです。


同書の主張は、ほとんどの会社で、ほとんどの人が箱に入って仕事をしているということです。
みんな、会社の業績のために働いていない。自分が正しいことを証明するために働いている。
だから業績が上がらない。社員を箱から出すことは、他の何よりも重要な仕事なのだ、といいます。


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えー、理屈は分かった。
が、感情に落とし込んで箱から出るような行動を実践するのは大変だ。
人格者にならなくてはならない。私はネット上では人格者でありたいと思っているが*1、リアルワールドではわやだ。
こんなの読んだだけでは意味がない。やらないと...

*1:みんなネット上で毒を吐きすぎだと思う。せっかく人格をリセットしていい人のふりをするチャンスなのに