ミラノのダヴィンチには何が起こったのか?

岡本吏郎「お金の現実」を読む。
この人はデビュー作から一貫して「人間は環境に支配されている。だから家は重要だ」と言い続けている。
資本主義はマイノリティが大衆を食い物にする仕組みだから、自分が大衆にならないように常に気をつけていなくてはならない。
ところが、平凡な家に住んでいたら、それだけで大衆になってしまう。
だから、絶対に住むところは個性的でなくてはならない ... という理屈だ。
普通の家にしか住んだことがない私には、分かるような分からないような話だ。

これに対応すると思われる話が、Paul Grahamハッカーと画家」のP149にある。
「才能よりも環境が重要だ」という、勇気の出るような、怖いような事実が語られている。

15世紀のフィレンツェは奇跡のような土地で、ボッティチェリダヴィンチ、ミケランジェロなどの天才を同時代に輩出した。
その当時、ミラノはフィレンツェと同じぐらいの大きさの都市だった。しかし、ダヴィンチたちに匹敵するような芸術家を一人も生まなかった。
「ミラノにも(ダヴィンチたちと)同様の能力を持った人は居たはずだ。ではミラノのレオナルドには何が起こったのだろう。」とPaul Grahamは問う。
答えはこうだ。

「才能ある人々のコミュニティほどパワフルなものはない。
それに比較すれば遺伝子の影響なんて小さなものだ。
遺伝的にレオナルドであるだけでは、ミラノに生まれてしまった不利を打ち消すことはできない。」

土日に2ちゃんとか見ていると自己嫌悪に陥る。いろいろやりたいことがあるのに2ちゃんなんか見ている自分はダメな人間だと。自分はもっと意味のある生き方ができるはずだと。
残念ながら、自分ひとりで意味のある生き方ができるようには、人間はできていない。環境が私を支配している。

どこか違うところに行けば自分は劇的に変わるのではないかと言うと、「どこに居ても同じ」「自分次第なんだよ」みたいなことをよく言われるが、これは嘘だ。環境が人間を支配している。逆ではない。
しかし、それでも、環境に支配されていることに気づいた人が、自分で環境を変えるべく足掻くしかないのだ...